top of page

体と心の考察

体を痛めて見えてくること

つい最近、肩を痛めました。

左肩が上がらなくなり、炎症起こしてジンジン痛い。


私が体を痛める時は一定期間は同じ場所なので、その辺りになんらかの問題があり、

痛くなくなったら、アーサナをしてよく観察します。


あ〜私の体ってこうなってたのかぁ

ここがねじれちゃってるのね

すごく力んじゃってたな


体をマッピングする

感じるところでは、痛めた後は体の歪みを矯正しやすくなっています。

痛いうちは安静にし、痛みがなくなったら

解剖学の本を見て、そのあたりと関連する部位の体の作りを頭の中に入れて分析し動かすと、

たくさん新しい発見をします。

その部分の体の歪みがだんだん見えてきて、どう動かせば正せるか、直感的に観えてきます。

痛みが教えてくれる不調。

見逃さないで整えていけば、必ずいつか直る。

実際、痛みを乗り越えるたびに体は楽になり、整っていきます。


私は小学施6年の時に、交通事故で腰が歪んでいますから、時々痛むのですが、

こうして観察して歪みに対処しながらアーサナをすると、正されてゆきます。


心と体は表裏一体

心もそれと同じだと思います。

人間の性は善だと思うんです。

心をジャッジレスな視点で、よく観察するとちくって痛む時があります。

その原因はなんだろう?って分析すると、奥にある私のエゴが見えてきます。

体を痛めた時に解剖学の知識で分析して正すように

心の知恵も同時に学び、分析できる知恵を身につける。

それは私にとっては、『ブッタの教え』です。


観察・分析・対処

観察していると、あまり余計な思考がやってこない。

来たらすぐ見つけて、私にとって苦しいものだったら対処する。

心と体にこれを繰り返し、どんな痛みが来ても何度やってきても悲観しません。

むしろ、発見できたことが嬉しい。

発見できれば後は正すだけだから。


ジャッジレスな視点

大事なポイント。

自分が自分を否定したら、心は辛いから、何がきてもありのままを認識する。

思考・感情に対し、良い悪い/好き嫌い/白い黒い、などの判断をしないで認識する。

実は、ただそれだけで心は楽になります。

『他人や自分や事象を判断しない』を基準に我が心を観察すると、固定概念、執着、怒り、恐れ、

が観えてきます。

そこから心を解き放ち、少しずつ自由になって、いつか開放される時が来るでしょう。


束縛は、私が作り出すものだから、私だけが気がつけて、私だけがそこから開放してあげられる。

さぁ、今日も静観していこう。



素敵な1日を♪

tara


特集記事
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page